何をするかよりも、どう在るか。
最近ずっと考えていること。
私はどう在りたいか。
それは未来もそうだし、たった今も。
どんな状態でありたいか。心の状態ね。
モヤモヤの本質~3部作での大きな気づきの時に、
私はなんで産まれてきたのかも知った。気づいた。
それは何かをするためじゃない。
「私は幸せになるために、産まれてきた。」
それに気づいてからは、じゃあ自分が幸せだなぁと感じる瞬間ってどんな時だろうって、
改めて考えてみた。そして、それを小さなことから実行してきた。
実行していくうちに、それらが微妙に変化していくことにも気づいた。
そしてその変化する心にもついていくことにした。
そうやっていくうちに、
何かをするから幸せになる、幸せを感じるんじゃなくて、
何をしても、幸せを感じ取れる状態、
自分で勝手に幸せになれる、
そう「在る」ことが、幸せなんじゃないかって思った。
ちょっと言葉にするとまだまだうまく表現できないのがもどかしい。。。
何かがあるから幸せ
何かを得るから幸せ
何かをしている時が幸せ
もちろんそれもある。
でもそれだけだと、
何もなければ不幸せ
何かを得られなければ不幸せ
何もしていなければ不幸せ
になってしまう。
何もなくても幸せ
何をも得なくても幸せ
何もしていなくても幸せ
こうなると、なんかすごい可能性が拡がる気がして。
何かに向かって頑張ることも、
たまに休むことも、
何かを始めることも、
何かをやめることも、
嬉しいことも楽しいことも、
悲しいこともツラいことも、
悔しいことも腹の立つことも、
人生で起こるすべてのことが、
「幸せになるために産まれてきた私」にとってすべて必要なことだと、
その最中にいるときはどんなに大変で辛かろうと、
きっとその先は幸せにつながっていると信じられる。
いつもそういう心の状態で「在り」たいと思う。
そして、何かをするのであれば、
そう「在れる」にはどうしたらいいか。
そういう視点で動きたい。
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