怖くないの?
先日、身体のメンテナンスに来てくれた友人が、
「ブログ読んだよ~。わかるわかる~って思ったよ~。」
って言ってくれました。そして、
「でもさ、自分の心の奥を知るのって、怖くないの?」とも。
ちょっと意外な質問でした。私はもう習慣になってしまっているから、怖いとか思わないけれど、そうじゃない人にとっては、もしかしたら自分の心の奥底を知ることって、
『怖い』ことになるのかな?と。
皆さんはどうですか?
そう言われてみて、私は最初の頃はどうだったかな~と思い出してみました。
山崎治療室で働き始めて、そこで心のことを学ぶ機会に恵まれたものの、
実際に実践するに至るまでは、確かに時間はかかりました。
当時は半信半疑の部分も大いにあり、「そんなことで現実が変われば誰も苦労してないよ」
くらいにさえ思っていました。
ただ、そんな時に起きたある出来事によって、その完璧な仕組みを認めざるを得ない状況になりました。詳細は長くなるので今回は省きますが、ざっくり言うと、
院長がしつこく「今回のことの原因を自分の心の中に見つけろ。」と言うので、
反発心もありましたが、物は試しだくらいな気持ちで取り組んでみました。
そして自分の心の中に原因が見つかった途端に、現実がガラッと変わってしまったのです。
これはもうその法則を認めざるを得ず、その完璧さに恐怖すら感じたのをおぼえています。
その後は、今までの生き方と学び続けていく心の仕組みとのギャップに悩み、
葛藤し、認めたり抗ったり、現実世界で起こる出来事に一喜一憂しながら、
ただやみくもに生きていた時期もありましたが、その時々でもうどうしようもなく、自分の心に向き合わなくては何も変わらないと思い知らされることがあり、その度に心を掘り下げ現実が変わるという体験を積んで、今に至ります。
確かに、「怖かった」んだと思います。
だから向き合うことから逃げていたんだと思います。
何が怖かったんでしょうか。なんだったんだろう?
と、また考えてみました。
多分、
『何か嫌なことやつらいことが起こったときに、自分以外の何か・誰かのせいにできなくなること。』
じゃないかな~と思いました。
環境のせい、生まれのせい、育ちのせい、人のせい、親のせい、先生のせい、上司のせい、
こうやって言い訳していれば楽なんです。自分を守れる気がするんです。
だから自分がこんな人間でも仕方ないんだ、こんなことしてしまうのも、失敗するのも、
すべて〇〇のせい。こうしておけばその場はしのげる気がしてたんですね。
自分の心の奥に原因があると思って探っていくことは、言い訳ができなくなるということです。それは、自分の人生に責任を持つということです。
だからなんとなく、無意識に避けたく、逃げたくなってしまうのかもしれません。
自分で自分をツラくしているなんて思い知りたくないですもんね。
被害者でいたほうがらくだったんだと思います。
何かのせいにしていれば、自分は変わらなくてもいいわけですから。
今までの生き方、考え方、やり方を変えることはとても勇気のいることですし、
自分の間違いを認める素直さも必要です。もちろんとてつもないパワーも必要になります。
だから変わらないでいたほうが楽なんです。
そして現実に不平不満だけ言って、自分は変わらずに外が変わってくれるのを待っていたいんです。
でも、それでは良くなるどころか、退化していく一方なんですよね。悪くなる一方。
それでは不幸になるのも幸せになるのも、他人次第、環境次第になるわけです。
それって、誰の人生ですか?
私はそんな時にいつもいつも、離婚、入院、度重なる流産、手術などなどが起こり、
向き合う機会を与えられてきました。
そして、今ではいつも自分は何を感じているかを感じようとする習慣がつきました。
今では、自分の心が何を感じているか、自分の心がどう動くのかを知らずに生きる方が、
「怖い」と思います。
自分を知らずして、どうやって自分の人生を生きていけるのかと思います。
自分の幸せが何か不幸とは何かを知らずして、知ろうとしなくて、
どうやって生きていけるんだろう。。。
自分の心と向き合う、自分の心に原因を探すというのは、
「自分のせい」にするためではありません。
「自分を責める」ことでもありません。
現実世界で起こることは、ただの「こと」です。
その「こと」自体に意味があるのではなくて、
『そのことを自分がどう捉えたか。』を考え、
『自分の心を見つめ、本当の自分を知る、思い出す。』為に与えられた、
きっかけに過ぎません。
そんな大きな出来事でなくても、身近にそのチャンスは沢山あります。
ある出来事が起きた時に、自分と他人では受け取り方が違うってことってありませんか?
誰かの一言に私はイラっとしたのに、〇〇さんはなんとも思ってない、みたいな。
それによって一日の過ごし方も、その人への接し方も、今後の行動も変わってくる。
どっちがいい悪いじゃなく、「私はなぜそう捉えたのか。」をちょっと考えてみると、
自分と他者の違いもはっきりと分かるようになるし、今まで忘れてしまっていた本当の自分に出会えると思います。
なんでそう捉えたのか?についての探り方は、3部作シリーズを参考にしてください。
またちょくちょく同じこと書くと思いますが(笑)
自分のことを知ること、怖くないです。自分の人生に責任を持つことだから。
自分の超大切な愛車を自分で運転するのと同じです。
他人に運転されるの、嫌じゃないですか?気持ち悪くないですか?
もちろん、他人の愛車を運転することもできません。
他人はコントロールできません。
だから、自分の愛車を磨いて、構造も知り尽くして、自分で大切に運転するんです。
自分でどんな道も自分の愛車をコントロールして進んでいくんです。
ね、自分がどんな車に乗っているか、どんな構造してるか知らなかったら、
逆に怖いですよね?
私もこれから家族が一人増えます。
初めての子育てに際して、またどんな自分と出会えるのか楽しみです。
きっとイライラもするし、不安になったり、嬉しかったり、怒ったり、喜んだり、
忙しくなるんだろうな~って思います。
色んな人に助けてもらいながら、さらに人として成長していきたいなと思います☆
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